宗教を読み解く重要キーワード「修行」

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【修行】

人々は死を克服するために死に価値をつけた。飾られた世界。天国。神の国。そうした抽象概念は分かりやすく言葉で説かれてきた。聖書、経典によって。

言葉以外で外界を理解することは、体験を通して行われる。奇跡を体験した人は、精神的な変化を経験し悟ったり回心したりする。

 

イッチャンドン監督の映画「シークレットサンシャイン」では、牧師の説教によって(つまり宗教体験によって)回心する描写がある。これがまた物凄く異様な光景にもみえるかと思えば、文脈から至極自然にもみえてしまう。


これは生まれ変わりの儀式であり、一種のイニシエーション(通過儀礼)ともいえるだろう。子供から大人になる成人式はその典型で、新しい自分に生まれ変わる儀式だ。

 

宗教学者島田裕巳氏は、道元の修行について取り上げ、『イニシエーションは永遠に繰り返されるものだ』ということ説明している。

修業と悟りは同じものであるという「修証一等(しゅしょういっとう)」の考え方は道元思想の主要な考えのひとつだろう。

「修」は修行、「証」は悟りのこと。修行に終わりはなく、悟りにも終わりがない。

 

日本は式や節目の行事など、イニシエーションが行われる場所はたくさんあった。いまはどうか。もし、そういう機会が少ないのであれば自ら日常に修行を取り入れるしかないだろう。もし、イニシエーションが行われなかったらどうなるか。ことのほか簡単に人格の破滅をもたらし、社会を崩壊さえてしまうかもしれない。

 

映画「ディストラクションベイビーズ」というタイトルが強烈に、恐ろしいほどに目の前にのしかかってくるのであった。

 

おわりに 

「修飾」「修辞」「修行」

修めることが宗教だと最初に述べたのだけど、人々が歩んできた宗教の歴史をそんなに簡単に述べることはできないでしょう。ただ、三つ単語をこう言い換えたらどうか。「デザインする」「わかりやすくする」「生活する」どれも極単純に日常で行っていることだろう。無宗教だと思う人は何かでその機能を代用したり補完したりしているのだろうし、信仰の強い人も実は当たり前の営みをしてきたとも考えられる。修めるという観点から宗教をみることできっと今までとは違ったふうに見えてくると思うのだ。

もう一つ、言及していないのは「契約について」だ。神の存在を知った後の誓い(律)の話。また別の機会に調べて纏めてみたい。

 

参考文献

島田裕巳『宗教はなぜ必要なのか』知のトレッキング叢書

イチャンドン、映画『シークレットサンシャイン』

真利子哲也、映画『ディストラクションベイビーズ』