諸行無常入門 vol.4

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◾︎笑い飯・哲夫のカレー理論
諸行無常。この世は全て移り変わって確かなものなどない。
それを面白く解説しているのがお笑いの笑い飯哲夫のカレー理論だ。著作の『釈迦も笑う仏教』によれば、この世は大きいカレーの鍋で、みんながそのカレーを穴の空いたおたまでを掬うイメージだという。皆がそれぞれカレーを掬って、それぞれ個別の世界が見える。それぞれ見え方が違うけど、結局オタマに穴が開いているから元の鍋に戻っていく。
私のカレーは鍋のカレー、あなたのカレーの結局、鍋のカレー。あなたと私は一緒ということになる。(そう考えると、自己分析シートを必死になって書き潰していた大学時代はなんだったのかと思う。)

この本には、鍋に溜まったカレーはその後どうなるのか書いてはいないけれど、やっぱり鍋にも穴が空いていて流れてしまうだろう。それはまた大きな鍋に流れていく。この世は流れ続ける流動体なんだろう。

#笑い飯
#釈迦も笑う仏教

 

諸行無常入門 vol.3

〇△□の意味

 

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去年、江戸時代の仏教のお坊さんの仙厓義梵(せんがい ぎぼん)の禅画展を見に行った。昭和初期には、仙厓ブームが起こるほどで昨今も再び人気が出ているらしい。なぜ人気があるかといえば、「ほっこり」と可愛らしい筆絵に「ひょいっ」と禅の心を諭すような画賛(歌や格言のようなもの)が添えてあるところ。

分かりやすいものから難解なものまで多数のあるが、特に難しいのが「〇△□図」という作画がある。筆で〇△□と描いてあるのみのシンプルな作画だ。この作画の解釈については、宇宙を表しているとか、神道密教仏教を表しているとか、自然を表しているとか、諸説あるそうだ。いづれにしてもこの世を体系的に表したものだろう。

特に注目するべきは、〇△□が重なりあっていることである。『仙厓の○△□』著の中山喜一朗氏によれば、「結局はみんな一緒だ」ということを意味しいるという。○△□のそれぞれが具体的に何なのかはわからないが、それは見る側を考えさせ、心に自分なりの宇宙を発見させてくれる。

下記の絵は筆者が描いた宇宙です。絵とちょっとした文章を書くきっかけになったのは、紛れもなく仙厓との出会いである。オマージュか、それともパクりかい。ご愛嬌。みんな一緒だからね。

 

 

↓参考
仙厓義梵《○△□》「わかる」がわかるか──「中山喜一朗」
http://artscape.jp/study/art-achive/10127048_1982.html

諸行無常入門 vol.2

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■キムギドクを観よう

外国を知って自国を知るということはもはや常套手段というか、他国が第三者の目線をくれるものだ。相手と異なる点を知って自分を理解したり、共通点を見つけることで自分を再発見する。その二通りの発見が出来るのが韓国映画である。

韓国の映画を観ていると牧師や教会をよく見かける。韓国の信仰の比率はざっくりいうとキリスト教が1番多く、その次に仏教らしい。(オールドボーイや最近観たコクソンなど、キリスト教を題材にしたものが多い。) そんな中で鬼才監督キム・ギドクの映画は仏教的な作品が多い。「 春夏秋冬、そして春」「 メビウス」、「 絶対の愛」。このタイトルだけでもお線香の香りがする。「絶対の愛」はキリスト教っぽいと思うかもしれないが、原題は「time」というらしい。つまり時間だ。三つとも「繰り返し」がポイント。
また春が来て、裏は表になり表は裏になり、時計の針は繰り返す。「絶対の愛」では「 みんな同じだろう」というセリフがたびたび出てくる。仏教では「世の中すべてのものが移り変わり、永遠のものなどないということ」を諸行無常という。高校の時に何となく授業で習って、向井秀徳を聴いて何となくわかった気になっていたけど。近頃、仏が気になり始めている。諸行無常。世の中は無で、みんな無だからみんな同じということになる。

そのことについてもう少し調べてみたい。

諸行無常入門 vol.1

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 ◾︎外国人旅行者はスクランブル交差点が好き。

外国人旅行者は、渋谷のスクランブル交差点が好きだ。「どこが魅力的なの?」とインタビュアーが聞いたら「こんなに多くの人が、ぶつからず交差して歩いているのが面白い。」と答えていたのをテレビで見かけた(実際結構ぶつかるもんだよ)。 そんなこと考えてもみなかったけど、人と人は影響しあって生きているんだなと思った。そして、海外の人が興味深いと思うような日本的な精神がそこにはあるのだなと思った。無意識のうちに、みんな結局のところ繋がっているのだ。

春野さ子さんに楽曲提供

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春野さ子さんに楽曲提供しました。
https://youtu.be/U8xoujCrwic 『愛くるしくて瞑想中』と『パステルロード』
ライブで音源購入できるようです!
お披露目ライブに行って、さ子さんにも挨拶してきました。
春の野原に花が咲いているかのようなほんわかな人でした。
応援してます!
#春野さ子

『愛犬のミニーと病気がちな母』

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弓矢が3本揃えば折れないように、病気が三つ重なればどうしようもないくらい治療しにくい。母は糖尿病加えて、多重に病気を抱えている。
母はアイスクリームを食べれば気持ちが落ち着くが、やめれば気分が落ち込む。気分を落ち着かせる為に大好きな買い物をするが、買った物や服を片付けられない。ストレスがたまりまたアイスクリームを食べてしまう。
1対1人で対処するのはかなり大変なことである。ましてや病が重なればなおさらである。三つの穴を両手では防げないのだ。結局、体は悪くなるばかりだ。
そんな母の支えとなっていたのは「  ものづくり」、所謂D.I.Yだった。具体的にブーケやリース、グリーティングカードが得意だった。しかし、厄介なのはアウトプットよりも、とてつもなく多いインプットだ。つまり、材料の量だ。ブーケに使うリボンは何十種類、グリーティングカードに必要な紙は何千枚も買う。企業で例えるなら、ハガキ数枚作るのに工場を設備投資するようなもので、費用対効果は最悪である。しかも、片付けられない病気だからなおさら悪循環だった。
心を鬼にして、母に強く忠告したことがある。「 病気を治すことを優先して今は趣味もやめてほしい 」と。だけれど、それは逆効果だった。母はヒステリックになり「私の生きがいを取らないで 」と反論され、私の方もその散らかった部屋を片づけに毎週帰っていたので、癪にさわって口論になった。
しかしながら、私はその母の反発の中核に力強い魂を垣間見た。浸水ゲームで満たされた水の中でも水で消えない炎がそこにはあった。つまり、生きる根源がそこにはあったような気がする。とどのつまり、母にとって「 生きること」とは「 ものづくり」だったということに気づいた。
私はどうかといえば、母の遺伝子をもろに受け継いでいる。昔から図工や美術が好きだったし、ずっと音楽もやってきた。これからも作品を作り続けたい。コトリズという名前で創作活動をしています。
これは精神的空間をお届けする、一種の母への反発であり、アンチテーゼです。
現実とファンタジーを織り交ぜながら。創作活動は死ぬまで続くと思います。